今治市名誉市民である弊社代表取締役檜垣俊幸会長の銅像が、今治市中心部にある今治城吹揚公園内に建立され、4月5日、世話人代表の今治商工会議所村上景一会頭や菅良二今治市長、日本造船工業会の元山登雄会長、銅像の制作者で文化勲章受章者の彫刻家中村晋也氏、地元の船主、銀行など関係者約300名が出席して除幕式が盛大に執り行われました。
当日は雲ひとつない澄みわたる青空のもと、初めに東日本大震災の犠牲者に対し黙祷が行われた後、主催者である「今治市名誉市民 檜垣俊幸氏の像を建立する会」世話人代表の今治商工会議所村上会頭が、「檜垣氏は永年にわたり、船造り一筋に歩まれ、当地域の基幹産業である造船業や海運業の発展を通じて、日本最大の海事都市今治の実現に貢献されるとともに、今治商工会議所会頭として、商工業の発展並びに県勢・市勢の伸展に多大な貢献を果たされました。特に、今治城築城・開町400年祭では藤堂高虎公の銅像建立や今治城鉄(くろがね)御門の再建等、余人をもっては成し得なかったであろう数々の大事業を完遂されました。菅市長のご配慮により、今治城公園内に頌徳碑として、中村晋也先生制作の銅像を建立し、檜垣氏の偉業をたたえ後世にまで語り継がれることは誠に意義深く喜びに堪えません。今後ともご健康で当地域のリーダーとして一層のご尽力を賜りますようお願い申し上げます」と挨拶されました。続いて世話人や菅市長、檜垣会長の8人のお孫さんも参加して総勢30名が紅白のリボンを一斉に引き除幕されると、3mの石の台座の上に凛とした3mの銅像が姿を現し、大きな拍手で会場が包まれました。
続いて、菅市長が「檜垣氏はまさに海事都市今治を象徴する方であり、今日までの獅子奮迅のご活躍、ご功績はご案内のとおりであります。特に、昭和55年に今治造船の株式を寄付していただきその基金で設立された檜垣育英会は、今日までに500名に余る高校生・大学生に就学支援を行い、当市の人材育成に多大の貢献をいただいています。本日、大勢の市民の皆様方とともに銅像建立をお慶びするとともに、これからも檜垣会長には世界に羽ばたく海事都市今治の原動力であって欲しいと願っています。どうかご健勝で益々のご活躍をお祈りいたします。」と祝辞を述べられ、檜垣育英会の奨学生で現在は今治市立菊間中学校の教諭、矢野美由紀さんから感謝の言葉がありました。
日本造船工業会の元山会長は、「檜垣様は永年造船業に従事され、今や日本一の建造量を誇る今治造船グループを築きあげられました。今日では今治造船の名前とそこで建造される優秀かつ高性能な船舶は世界中の船主、オペレーター、その他海事関係者に知れ渡っています。また、事業家として成功を収められたばかりでなく、地域の発展振興に献身的に取り組まれ、勲二等瑞宝章受章はじめ幾多の栄誉に浴され、海事関係者の一人として誠に誇らしく喜ばしい限りであります。ここに今治市名誉市民、檜垣様の頌徳碑の除幕にあたり、僭越ではございますが日本造船工業会会長の名前で碑文を刻させていただきました。大変名誉なことであり、地域の皆様に檜垣様の偉業が末長く語り継がれることは誠に意義深いものと思っております。益々のご健勝ご活躍をお祈りします。」とごあいさつされました。
また、銅像の制作者である中村晋也氏は、「檜垣さんの船造り一筋に歩まれたその男の世界、それをどう表現すれば良いのか、それとの戦いの制作でありました。銅像の右腕がくの字に少し曲がって前に出ているのは、次へ行動する、挑戦する男の戦いの始まりを表わしています。また、銅像は真東を向いており、そこには東京がありますが、目線は東京を遥かに超え、太平洋を渡ってアメリカ大陸、その向こうの大西洋を超えてヨーロッパ大陸、アジア大陸へと、まさに世界を股に掛ける造船の王者の目線、檜垣さんの目指すもの、そのものを表現させていただきました。末長く今治市民の皆様に親しんでいただきたい。檜垣さんの益々のご活躍をお祈りします。」と銅像制作の説明を兼ねた祝辞を述べられました。
最後に、檜垣会長はお礼のあいさつで、「村上会頭はじめ大勢の世話人のお陰で、今治で一番素晴らしい場所に私の銅像を建立していただき誠に有難く心より厚く御礼を申し上げます。私は日本一幸せな男であります。と申しますのも、私は周囲の環境に恵まれたことです。来島海峡を眺めながら育ち、家庭的には船大工の祖父から船のことを学び、子供心に自分は船を造る以外にないと決め、小学校を卒業と同時に14歳で見習工として今治造船に入社。後に今治造船を引き受けることになりましたが、私は、木造の伝馬船からあらゆる船を造ってまいりました。それも地元の船主さん二代三代にわたって船を造らせていただき、そのお陰で造船の技術を習得できた。今日まで好きな船造り一筋に人生を歩んで来られたのは、地元の大勢の船主さんに恵まれ、先輩諸氏、友人に恵まれ、家庭的にも家族に恵まれ、取引会社、協力会社に恵まれ、役員・従業員に恵まれ、ありとあらゆる面で恵まれて、今の私があります。今治城築城・開町400年祭の藤堂高虎公の銅像建立や今治城鉄御門の再建などは、たまたま会議所会頭だったので実行委員会の会長を仰せつかりましたが、ご臨席の皆様や大勢の市民の皆様のご支援ご協力によって立派に完成さすことができました。中村晋也先生とは、今治国際ホテルの入口に、二頭馬車の先生の作品を設置したご縁でお会いしました。彫刻家として素晴らしい方だと直感し、勲二等の叙勲を機に私の銅像の制作全てをお任せしました。こんな大きい銅像になるとは思ってなかったので、大変立派な銅像が完成し、自分でも大変気恥かしいのですが、10年ほど前に完成し、私が亡くなったら、西条工場の片隅にでも設置してくれたらと考えておりましたところ、村上会頭はじめ11人の世話人の皆様のご尽力によってここに設置していただくこととなりました。誠にこの上ない名誉なことであります。
先ほど中村先生から説明がありましたように、銅像は東向き、すなわち江戸、東京を向いています。小学校で朝礼の時には必ず、「東向け東、皇居に向かって敬礼!」をさせられていました。今治は北緯の34度4分位になりますが、現在では、東京を超えてアメリカ大陸のロサンゼルス辺り、その先のヨーロッパからアジアへと、世界に目を向けよということであります。海事都市今治、もちろんタオル産業も、我々造船海運も世界に目を向けて、何事も前向きに考えて、常に前進あるのみと歩んでいただきたいと思うわけであります。海事都市今治の益々の発展とご臨席皆様のご多幸ご健勝を心から祈念してお礼のご挨拶といたします。」と挨拶されました。また、檜垣会長は小学校で習った好きな歌で、今でも時々口ずさむ、「太平洋行進曲」の一番を披露されるなど、銅像建立の喜びにあふれた様子でした。